どんぐり商店

くだらないはなし

推理通達

こんなにも広がりと奥行きのある文章ってあるのだろうか。
たった、3行。
たった3行の文字が、私たちをざわつかせる。

会社の通達に懲戒事例が載っていた。

社員Aと社員Bは社内で不適切な行為に及んだ。
A:降格
B:停職5日

 

私たちはこの話題で持ちきりになった。

社内ってどこなんだろう?
Aは役職者、Bは平社員よね?上司と部下かしら?
どうしてバレたんだろう?
”不適切”って具体的に何?(このトピックが一番盛り上がる)

みんなの想像力がすごい。
たった3行からあっという間にストーリーが出来上がってしまった。
以下、みなの英知を集結させた妄想ストーリーをお楽しみください。


A課長とB子は、先日リリース完了したプロジェクトの片づけをしていた。
部屋には2人だけ。他のメンバーは在宅勤務だったり、有給休暇だったり。

「ごめんなー、手伝わせちゃって」A課長が言う。
「いえ、こういうのは若手に任せてください!」B子は明るく言いながら、壁に貼られた工程表をはがしていく。あぁ、終わってしまったんだと、小さくため息をつきながら。

B子はA課長に憧れていた。A課長はプロジェクトに夢を持ち、困難な場面でも揺るぎない意思でメンバーを引っ張っていく。かっこよかった。
奥さんも子どももいることは知っている。でもそれすら魅力に思えた。家庭を大切にする優しい心の人。

B子はこのプロジェクトが終わって欲しくなかった。
同じ目標に向かって進む、熱のこもった時間を共有することは、もう無い。
急にB子の視界は涙でぼやけた、と、同時に右足が踏み台からずるっと外れたのが分かった。

「あぶない!」気づくとB子はA課長の腕の中にいた。
「大丈夫か?ケガはない?」A課長の声が耳に近い。
「・・・はい」とかろうじて答え、まばたきでB子の目から涙がこぼれた。
寂しさと、驚きと、そして彼の腕の温かみに心が焦がれて。

「大丈夫?」ささやくようにさっきとは声色が違う。
2人の視線がぶつかる。
もう気持ちは、止めようがなかった。

・・・そんな様子を柱の陰からC美が見ていた。
C美もまたA課長に憧れをもっていた。だからプロジェクトに参加したいとまっさきに手を挙げた。でも、選ばれたのはC美ではなく、B子だった。
なんで。私の方が仕事ができるのに。私の方が気が利くのに。
B子の方が若いから?かわいいから?
怒りで目の前が真っ赤に燃えるようだ。
どうしたらこの怒りの炎は鎮まるだろうか。
自分がこんなに苦しい思いをしてるんだから、あの2人も罰を受けるべきだ。
私から奪った罰、私を選ばなかった罰。

C美は親指の爪を噛み、少し考えたのち、そっとドアを開けて部屋を出た。
そして走った。

会社の保安センターではD介が監視カメラの映像をぼんやりと見ていた。
モニターは20以上あるだろうか。在宅勤務が推奨されるようになってからは映る人影も少ない。残業時間であるこの時間はなおさらだ。
今日も異常無し、平和です、っと。
ジャンプと発泡酒を買って帰ろうとあくびをしかけたその時、保安センターのドアが勢いよく開いた。
「スミマセン!人が襲われているみたいなんです!第3棟の2階です!」
女性が走りこんできた。
慌ててモニターを確認する。さっきは見落としてしまったが、画面の隅で男が女性を襲っている様子が映っていた。
「ただちに現場急行します!あなたはここで待っていてください!」
D介は男の動きを封じるための刺股を手にして駆け出した。
こんなの訓練でしかやったことがない。D介は緊張と少しの興奮を覚えていた。

D介は第3棟2階のドアの前に立った。
ノブにかけた自分の手が震えているのが分かる。
大きく息を吸って自分を鼓舞する。俺は人を助けるんだ!
ドアを開けて叫ぶ。
「動くな!女性から離れろ!」

そこには着衣の乱れたA課長とB子が抱き合っていた。
そう、抱き合っていた。
襲っても、襲われてもいなかった。

ぽかんと見つめあう、2人と1人。

ただ、通報を受けたからには、保安センターは会社への報告が必要となった。


ふーー・・・妄想ストーリーは以上です。
期待したみなさまごめんなさい、どうしても"不適切な行為"については描写する技術がありませんでした。
ってかさ、たった3行から、どうしてC美とかD介とかでてくるの?
どこから不倫って読み解いた?

散々妄想したけれど、実際に社内で不倫ってあるのかね?って話になった。
すると友人が「実は見ちゃったことがあるんだよね」と言い出した。
まさか!不適切な行為ってやつ?と前のめる私に、彼女は真顔でこう言った。
「給湯室で手をつないでたの」
ねぇってば!高校生の恋愛なの?今回の懲戒の件とギャップが大きすぎる。
けど自分たちの身の回りで起きる事件なんてこんなもんなんだろう。平和だ。

「ところでさ」と友人は続ける。
「社員AとBって、男女?」

!!!
いろいろ妄想したけど、その観点抜けてたわ!
小説でいうところの叙述トリックってやつ。あぁ、騙されたかもしれない!
そうだ、男性と男性かも。女性と女性かも。

たった3行の懲戒通達。
3行でこんなにも盛り上がるっていうのは、通達を書いた人の文才ではないだろうか。
140字のツイートにすら四苦八苦する私は、
ただただ懲戒通達に脱帽し、ひれ伏したのでした。