どんぐり商店

くだらないはなし

舟をくる

「恋愛」って説明できます?
できなくても大丈夫。そんなときは辞書で調べればいいんです。辞書は普遍的に、誰でも分かるように示してくれる。

れんあい⓪【恋愛】ーする
特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
「ー結婚⑤・ー関係⑤」

新明解国語辞典 第三版

合体!? 踏み込みすぎてない? これって共通理解ってことでいいの??
そして ”常にはかなえられないで” って表現に、書いた人の恨みのようなものが見えかくれしてる。モテないひがみというか。そんな私情を辞書に載せてよいのかしら。

ちなみにこの「恋愛」の説明は新明解国語辞典の第三版で、1981年に発行されたもの。2020年発行の最新第八版ではこうなっている。

れんあい⓪【恋愛】ーする(自サ)
特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
「熱烈なーの末に結ばれた二人/ー結婚⑤・ー小説⑤・ー至上主義⑧」

新明解国語辞典 第八版

しょっぱな書き出しで気づくのが、”特定の異性” が ”特定の相手” に変わっていること。性的少数者に配慮した表現になっている。こんな風に辞書の中身は変わっていくのだ。三浦しをんの『舟を編む』で知った辞書編纂の仕事を思い出す。
文字という記号は変わらない。でも文字が示す言葉の心は、時代とともに少しずつ変わっていく。言葉は生きているのだ。そしてきっと辞書も生きている。

残念ながら(?)、”合体” はなくなってしまった。さすがに炎上したか。しかしその表記削除が気に入らなかったのか、当てつけのように説明の量が増えている。
他の全てを犠牲にしても悔い無いと ”思い込むような” っていう所や、一喜一憂する表現は、恋愛している人たちのことを小馬鹿にしているようにも読める。ダメだよ新明解さん、自分がかなえられなかったからってそんな風に書いちゃ。

辞書って、重くてお堅くてつまらないと思っていた。けど、新明解国語辞典は真面目が度を超して、言葉を、読者をオーバーキルしてくる。個性的でお茶目で憎めない奴め。

そんな新明解国語辞典、手元に欲しくてつい買ってしまいました。それも紙版を。
最初に引くものは決めていた。小2の夏、おこづかいで買った国語辞典で調べたのと同じ言葉。

そね・む②【嫉む】(他五)
[他人の幸福や長所を見て]自分にはそれが望み得ないことを不満に思い、相手に悪い事が起こればいいと思う。[名]嫉み③

待って待って。” 相手に悪い事が起こればいい ” って言い過ぎじゃない? 新明解さん、何があったの。悩みあるんだったら聞くよ?

感情荒ぶる辞書に私はすっかりハマってしまった。用もなく辞書を開いてパラパラとめくっては、目についたものを読んだりする。決して読了できない本だけれど。

ページをめくるだけでも楽しいのだ。辞書の紙はとても美しい。透き通るほど薄いのに、張りがあってしなやかで、指に吸い付くように滑らかで。

言葉の大海原を渡っていけるように編まれた辞書。
私はその舟に乗って、櫂を繰(く)るようにページを繰っていく。
そうだ、海賊にでもなってみようか。