どんぐり商店

くだらないはなし

お祝いの味

農協で見慣れない野菜に出会った。

ふきのとうみたいにコロンと丸いフォルムで

レタスみたいな柔らかい葉が重なりあっている。

子持ち高菜、とシールが貼られていた。

 

どんな味がするんだろう?

1パックを買い物カゴに入れてレジに向かった。

小さくても、新しいことっていつでもワクワクする。

 

新しいこと。

新しいスポーツをやってみようとフラを始めて、10年になる。

フラがスポーツかっていうと微妙ではあるけれど。

 

決死のタコ踊りから始めて、

休みがちでレッスンについて行けず、冷や汗かいて縮こまって

全く上達しないまま色々があった気もするけど、

今のクラスは心穏やかだ。

前回までに習った踊りは忘れてる前提で、レッスンが進む。

焦りとは無縁で、毎回新しく楽しい気持ちになれる。

 

先生の踊りは上品で素敵だ。

静かな湖に水色の空が映り込んでいるような、

桜の木が日差しをうけて静かに揺れているような、

指先にまで優しさが溢れる踊り。

 

私はもはやフラを習うというより、

先生に会って楽しい時間を過ごすために通っていた。

 

そんな大好きな先生がフラを辞めることになった。

クラスを辞めるのではなく、フラを辞めるって。

20年も続けてきたフラを、あんなに美しい踊りを、やめてしまう。

 

心の炭治郎はもう成仏したと思っていたけれど、

今度は上弦の参 猗窩座が乗りこんできた。

「その優美さや踊りが失われていくのだ。惜しいとは思わないか」

って言いかけた。あれ、違うかも、黒死牟かもしれない。

いや、どっちでもいいのよ。

私は上弦の鬼じゃない。

先生が辛いっていうのなら、余分な仕事はやめたらいいと思う。

けどフラをやめることは無いじゃん。

 

そんな鬼の叫びもむなしく、今日は先生の最後のレッスンでした。

友達なら簡単に「やめちゃってもまた会おうね」と言える。

それは建前でもなく、本気で思って言えてしまう。

 

でも先生は。

20年間大切にしてきたものを一切終わらせる決意をしてる人は

きっともう、全ての関わりを絶ってしまうんじゃないだろうか。

 

「最後まで笑顔でレッスンしましょうね」って先生が言うから

ずっとみんな楽しいふりをしていた。

今日のレッスンは本当にたくさん笑った気がする。

 

最後の曲、私は先生の踊りを目に焼き付けた。

「クラスのレベルは関係なく、私は私の持っているものを

 全てみなさんに伝えてきました。

 みなさんは胸を張って踊り続けてください」

と先生の最後の言葉を聞いたとき、我慢できず涙がこぼれた。

 

そう、先生の踊りは私の中にあるはず。

寂しくなったら、優しい時間を思い出して踊ろう。 

 

ぼんやりした頭で帰って、ごはんの支度を始めた。

農協で買った子持ち高菜を茹でる。

お湯に塩をひとつまみ、子持ち高菜を入れて1分、綺麗な黄緑色になった。

 

子持ち高菜は別名、祝蕾と言うそうだ。

 

お祝いのつぼみ。

この植物はなんて素敵な名前をもらったんだろうか。

 

茹でたての祝蕾は、

青々しい春の匂いがして

みずみずしさが溢れて

そして、ちょっと苦かった。

 

先生の大きな決断と新しい人生をお祝いする、そんな味に思えた。