どんぐり商店

くだらないはなし

億とよばれた男

私たちはその男のことを、「億」と呼んでいた。

 

億は私の上司だった。

小柄で痩せていて、笑う時に口の片方をつり上げた。

よく分からない柄のネクタイはベルトより長く、

ぼってりとしたオーバーサイズの靴は歩くとドスドスと音がした。

 

「俺、億単位の金を動かしてるからさ」

というのが口癖だった。だから、億。

 

金額の大きさを自慢したってさ、アナタのお金じゃないし。

仕事が出来るアピールかもしれないけどさ、それ担当業務ってだけだから。

なんて言えず、私は「さすがですねー」とおだてておいた。

億は口の端を更に上げて歯ぐきを見せながら

「まあ、俺にとっては億単位なんて普通なんだけどね」

と鼻で笑った。

鼻で笑うって、比喩じゃないのね。

本当に鼻がフフンと鳴るのを初めて聞いた気がする。

 

その後、私は億の部下ではなくなり、

億は東京に異動になったらしいと人から聞いた。

「やっぱ東京じゃないとデカい仕事出来ないからさ」

なんて言う姿が簡単に想像できてしまった。

 

そして先日、億が出張で帰ってくることになった。

打ち合わせ前にでも挨拶させてくださいと、私は会議室に潜入した。

億に会うのは5年ぶりだ。

東京でこてんぱんにされて、億じゃなく万になっていればいいのに。

なんて心の中で毒づいたりして。

 

億がやってきた。

ご無沙汰しております。私はしおらしく挨拶した。

億は挨拶もそこそこに雑談を始めた。

東京ライフ、東京のオフィスについて。

全然こてんぱんになってない。5年前と同じ調子で喋っている。

「すごいですねー」って私の合いの手も5年前と変わっていない。

 

話を聞いてるうちに、何か違和感があることに気づいた。

億は完全に事業部長の方に体を向けていて、私を視界にすら入れてなかった。

3人で会話している風なのに、私だけ存在していないみたいな。

私はあいづちを止めてみた。

私が声を発しなくても、時間の流れも、話の流れも特に変わらなかった。

 

改めて億を眺めた。

変な柄のネクタイ。相変わらずベルトより長い。

靴はつま先の尖ったものに変わっていた。

 

「明日は○○で打ち合わせで」と億が言っている。

ふと我に返って聞いてみた。

「顧客はどちらなんですか?」

口の端を上げながら億が答える

「官公庁だね」

もしかして今のタイミングなら、私はこの部屋に存在できるかも。

「私の担当、地方自治体なんです。ジャンル近いですね」と言ってみた。

沈黙。

やっぱり私は存在していなくて、私の言葉は届いていないのだろうか?

数秒後、億が鼻で笑った。

「官、公、庁。総務省とか警察庁とかさ」

言い直された。

 

金額じゃなくて、今度はお客さんの大きさなんですね!

東京行って、ある意味進化してる。

 

そういう私は進化したのかしら。

新しい価値を世に出したいと足掻いてるけど、何一つ成し遂げていない。

それでも。私は私の成果を出せるように一歩ずつ進んでいこう。

大きな単位には屈しない。

臆さない女、と呼ばれるように。